プロフィール1/過酷な前半生~ロクなことがなかった会社に頼る人生~
私の前半生はロクでもないことばかりでした。
まるで転落することが決まっていたかのように落ちて行きました・・・
もくじ
新卒からいきなり転落半生の幕開けだった・・・
高校卒業後、私は社員数十人程度の企業で不動産営業として雇わました。
働き始めて数年後、上司からのプレッシャーに耐えながら何とか及第点は取れる成績を収められるようになりました。
しかしそれも束の間、あっさりとリストラに よって会社から切り捨てられました。
リストラから約9ヶ月後、会社は倒産しました。
会長や社長をはじめとした経営者一族だけは資産を手元に残こし、あとの従業員たちは そのまま放り出されました。
倒産はあらかじめ計画されたものでした。
私が会社に裏切られた最初の経験です。
その後、私はアルバイトを転々とする生活を送りました。
アルバイトに明け暮れる底辺生活を送る・・・
1ヶ月必死に頑張ってもらった給料は15万円ほど。
社会保険を払ったら手元には12~13万円しか残りません。
家賃、食費、光熱費を払ったら自由にできるお金はほぼゼロでした。
貯金もできず将来が不安で仕方がありませんでした。
何とかしなければと頑張って資格を取りました。
製図技能検定3級とCAD利用技術者2級という資格です。
もしかしたらこれでやりたかった仕事が出来るかも知れない。
そう思いました。
しかし現実はそんなに甘くありませんでした。
やりたかった仕事が出来そうな会社からはことごとく不採用通知が届きました。
その不採用通知の山を前に、私は世の中から必要とされていないのかと落ち込みました。
正社員として採用された会社はブラック企業だった・・・
やりたい仕事は出来ないけど、このままアルバイトも不安でした。
だから正社員の職を得るために就職活動に励みました。
苦労の末、ようやく正社員の職にありつくことができました。
仕事は不動産営業です。
経験していた仕事なので何とかなるかと思いましたが、 この職場は恐ろしいまでに真っ黒なブラック企業でした。
売上げが上がらなければ、暴力的な言葉を浴びせられ
私よりも年上のベテランなおじさんでも容赦なく頭をバシバシと叩かれたりしていました。
体調が悪くて休もうものなら上司から容赦ないプレッシャーを与えられました。
気が緩んでる、必死さが足りない、挙げ句の果てに生きてる意味あるのかとまで言われました。
おちおち休むこともできない会社でした。
年収は400~500万円ほどでしたが、時給換算してみれば、せいぜい800円~1000円くらい。
アルバイトで働いていた頃とほとんど変わりません。
朝の6時に起きて、帰りは毎日終電ギリギリ。
週に1度の休みも返上して働かなければならない時も多かったです。
年の休日は60~70日間くらいだったと思います・・・
それでも頑張り続けていたのは、ある種この時の私は会社に洗脳されていたのかも知れません。
・死にそうなくらい具合が悪くても過酷な労働を続けなくてはならない。
・他の会社に行っても大して変わらない。
・人生こんなもんだ。
・正社員の職があるだけ自分はマシだ。
こんな風に考えてました。
会社は私が命を削り必死で売り上げたお金の大半を持っていきました。
それでも働かなければならない。
売上げを上げなければならない。
そうしなければ生きていけない。
この頃の私はそんな風に考えて過酷な労働の日々に耐えてました。
そんな過酷な労働の日々を送る私にある時、異変が起きました。
ついに壊れた・・・うつ病に追い込まれる。
スランプに陥りパッタリと1件の契約も取れなくなりました。
そこで会社と上司は私に向かって暴力的な言葉で容赦ないプレッシャーを与えてきました。
「お前、売上あがってないぞ」
「そんなんじゃ、基本給もカットせざる負えないからな」
「マジで給料泥棒は死ねよ。おい死ねよ。わかってんのか死ねよクズ」
「頑張ってるふりしてるのはわかってるんだよ。このクズ」
「数字上がらないんだったら、会社泊まり込んで寝る間も惜しんで死ぬ気でやれよ」
「怠け者のクズは椅子に縛り付けてやらせなきゃダメみたいだな」
(本当に包装用のビニールひもで椅子に縛り付けられた・・・)
これが毎日続き、だんだん眠れなくなりました。
そして何とも形容しがたい感情に襲われるようになりました。
例えるなら昼間でも明かりのほとんど射さない薄暗い静寂な森の中で突然、
猛毒を持った数百匹の蜂の群れに対峙し勢いよく襲い掛かられた時のような恐怖感。
体の不調を感じて病院で検査されたあと突然、ガンで あるかも知れないと医者から宣告された時のような不安感。
不慮の事故で我が子を失った直後の母親が抱くような悲しみ。
そんな強烈で絶望的なこれらの感情に襲われるようになりました。
自分は悪いことをしている、自分はなんとダメな人間なのか、
恐怖と不安と悲しみに頭が支配され生きていくことに自信が持てなくなりました。
あまりに耐えがたい感覚にいっそ死んだら楽になれるんじゃないかと思いました。
そしてついに壊れました。
理性のタガは完全に外れ、突然、大勢の同僚たちの前で泣き始めてました。
そして突発的に会社の窓から飛び降りようとしました。
近くに居た同僚に止められ飛び降りませんでしたが、私の心は完全に壊れてました。
病院でうつ病と診断されました。
こうして会社を辞めた私は働くこともできずその後4年間、ニート同然に引きこもる生活をしました。
(↓精神科病院に通っていた頃の、領収書の束・・・病院に通いながら、毎日人生に絶望してました。)
会社に雇われて働くことは恐怖でしかなかった・・・
ニート生活の間は会社員時代に貯めたお金があったので何とか生きることだけはできてました。
しかしそれにも限界が訪れ、400万円足らずまで貯金が減った時、 行動を起こすことにしました。
普通なら再就職先を探し、新たなスタートを切る選択をすると思います。
しかし私は雇われの身となることに耐えがたい恐怖を感じてました。
また過酷な労働でプレッシャーを与えられれば、ようやく回復したうつ病が再発しかねない。
今度こそ再起不能になってしまうと思いました。
アラフォーの絶望の淵で本物の幸せを手に入れようと思った。
今のままではあまりに惨めで情けなく不幸で可哀想な一生を送ることになると思いました。
私は何のために生まれてきたのか・・・
結婚も出来ず、子孫も残せず、老人になってギリギリの生活をしながら、ただ死を待つだけの未来が訪れかねないと思いました。
今の貯金が尽きれば、老人にならずともギリギリの生活を余儀なくされます。
母親は私が34歳の時に他界してます。
父親は私が子供の頃にギャンブルで借金を作り母と別れ消息を断ちました。
親に頼る選択肢はありません。 悲しくて泣けてきました。
今のまま人生を終わらせて良いのか。
ギリギリの生活で貧困のうちに孤独な死を迎えても良いのか。
そんな人生など、まっぴらごめんだと思いました。
とめどなく溢れる涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、このアラフォーの絶望の淵で私は思いました。
「本物の幸せを手に入れよう」
まだ、何をすれば良いか解りませんでした。
でも必死に考えました。
アルバイトや派遣で食いつなごうか?
結婚相手を探して永久就職を狙おうか?
何か資格を取ろうか?
株やFXなどの投資で何とか出来ないか?
残った貯金で店を開いて商売するのはどうか?
ギャンブルで一発逆転を狙おうか?
いろんな考えが浮かんでは消え、どれもこれもダメだと思いました。
贅沢なことをしたいとは思っていない。
今の現状を何とかしたい。
将来の不安から解放されたい。
会社に雇われて働くことも考えました。
しかし雇われて働けば、一度きりの人生をただ金のために働くことだけで終わってしまう。
また壊されて再起不能にされてしまう。
残り少ない命がポロポロと零れ落ち、 最後には何も残らないと思うとたまらない気持ちになりました。
死ぬ思いで頑張っても切り捨てられる。
動けなくなったら使い捨てにされる。
私にとって会社に雇われて生きることは最悪の選択でした。
追い詰められ絶望的な状況で、何気なくインターネットを見ているとある言葉が目に入って来ました。
インターネットビジネスと言う言葉です。